今日からは、しばらく大都市を走ることがない。
朝はややゆっくりの8時半に出発した。
距離は72kmと長く、上りも獲得標高差が500mほどある。
宿の朝は、人が多い。住人なのか、宿の関係者なのかわからないが、いっぱい出入りしている。昨日の女性の姿はなく、カウンターらしきところにルームキーを置いて宿を後にした。
薄曇りではあるが雨の心配はない、道は空いていた。
国道を走っていると、いたるところに「檳榔」という看板が出ている。はじめ果物の一種かと思っていた。字の雰囲気が「椰子」になんとなく似ている。

調べてみた。
植物の種(タネ)で、かむと赤い唾がでる、それを吐き捨てる。ドラッグのようなもので、まだ普通に用いられているのだろうか。看板はたくさん出ていて、小さな販売所もいたる所にある。
かじっているうち軽い陶酔感がやってくるらしい。ヤバイものではないだろうか。
もともとは山地人の風習だったようだ。今回の旅で齧っている人には出会わなかった。
かっての台湾は清国の一部で、昭和のはじめまで阿片がまんえんしていた。当時、富貴の家では、自分の息子が外で酒食におぼれて家を潰すより、家で阿片を吸うことをすすめたという。家で父と子がならんで阿片を吸っていたのである。後藤新平が着任したころお、17万人もの吸烟者がいたという。・・・吸烟者に有力者が多く、法で一律に禁ずることがむずかしかった。後藤新平らはこれをゼロにするのに50年かかったという。(司馬遼:台湾紀行)
台湾は漢字の宝庫である。欠陥国語教育の世代である私には手に負えない。
看板の「檳榔」は、“ビンロウ”と読む、「椰子」の台湾文字かと思っていたら違った。


国道沿いの畑で栽培されていたのは「鳳梨釋迦」“アテモヤ”という果物で、形がお釈迦様の頭に似ているところからこの名がついたという。日本の桃のように、ウレタンのネットにはいって300円で売られていた。お釈迦様の頭を食べてみるべきだった、冬が旬だという。
台東から花蓮までの間は、中央山脈と海岸山脈にはさまれた細長い盆地になっていて、花東縦谷と呼ばれている。

中央山脈からこの盆地に出た急峻な谷は、好き勝手に流れて、その扇状地がすべて河原になっている。水量が少なくても河原巾が1㎞くらいあり、増水すると始末に負えなくなるのだろう。台湾の東部は大都市の発展がないので、堤防でがっちり管理するより広くしておけば氾濫もしないのだろう。。

架かっている橋は、高速道路のように堅牢なものばかり、古い橋は壊れて通れなかった。川の東側へ渡るつもりでいた“高寮大橋”が水害で見事に倒壊していた。この先に環島の立ち寄りポイント、玉里分局春日派出所がある。交番のまん中を北回帰線が通っていて、みなそれをまたいで記念写真を撮る。橋は傾いた橋脚部だけを残して、古代の遺跡のようになっていた。
(google画像を後日検索)
ここを通るつもりだった。



鹿野車站で昼飯になった。駅前の“桟前美食”、飯・麺・可素食(軽食の意味か?)。店主らしき青年がしきりとスクーターで出前に行ってしまう。店は客しかいなくなるのだ、食い逃げの心配はないのだろうか、小さな町だ。
客が増えてきたら、母親らしき女性が厨房に入った。田舎の駅前の小さな食堂ぜんとして、いい雰囲気してる、ワンタンとも水餃子ともわからない麺と、ご飯になんか掛かってるランチにぴったり、美味しかった。
台湾鐡道の駅はいずれもきれいで、よく整備され清潔に保たれている。どんなに小さな駅でも、どんな田舎の駅でも同様で、この鹿野車站もじつにきれいである。日本のJR・私鉄の地方の小さな駅は見捨てられている、ような気がする。台湾国鐵には旧日本国鉄風な“お上”的風潮はないのだろうか、国鉄民営化の前の名鉄など利用者への配慮など薄くて、濃尾平野のお邪魔ムシなどと呼ばれていた。台湾国鐵はむかしからこうだったのだろうか。



鐵・鐡・鉄、使い分けができない。
一カ所google mapに写真を投稿した。

知本を出て1時間ほど走ったところの国道9号線沿い東側。道路下の巨大な樹が目にはいった。

chuさんはまだ後ろだし、道路下に降りて写真を撮ることにした。バナナ農家の庭先で、小さな祠がある。種は不明だが、気根が雨のように垂れ下がっていて、その下に立つと薄暗い。巨木フェチなのでどこへ出かけても大きな樹を見つけると立ち寄ってしまう癖がある。
写真を撮りおえると、上の国道をchuさんが通る。大声で呼んだ、chuさんは例によって気がつかない。もっと大きな声で怒鳴った、犬が吠えだしてしまった。側道を通過中の車が止まってこっちを見ている。ドライバーに謝ってchuさんを追いかけた。
chuさんは、まったく気がつかなかったという。おくさんに耳が遠いとよく言われるそうだ。ふつうに会話しているときには問題ないのに、本当は聞こえているのだけど意識にないときは頭に入ってこないだけじゃないだろうか、などと、腹立ちまぎれに思ったりした。
google mapに投稿したのは、新しいビューポイント「気根の巨木」としてmapに載った。しばらくしてgoogleからメールが入っていて、100回閲覧されましたと案内がきた。世の中には暇な人がいるものだ。
しかし、こんなもんいかん、と思われたのがすぐ削除されてしまって、もう乗ってない。
参考にgooglemapのリンクを貼っておいた。
もっともわからなかった漢字“舊”、旧のことだった。キュウ・グ・ぬるい・もと、と読む。“舅”という字に似ているといえばにているような。
舊鐵道桐花歩道。
廃線跡が好物であることは、台湾でもかわりなく、出発前から立ち寄りポイントとしてリストにあがっていた。
看板には、大正8年 花東鐡路全通通車と表示してある。遺構は未舗装路が畑の間に確認できるのみで、特別なものはなかった。北へ向かう道があったので入ってみたが、すぐに行き止まりになった。
事前にチェックしていたポイントのなかでも大きく期待外れなとこだった、こらはこれでおもしろい。
私の「気根の巨木」と同様に、誰かが気まぐれでmapにアップしたのが“廃線跡”であったがために説明の掲示板やバイクスタンドが設置されたのかもしれない。
「気根の巨木」も数年ののち、樹の種類やいわれが看板に掲示されるかもしれない。
このあたりはパイナップルの産地でもあるようで、その畑が広がっている。パイナップルは木に実る果実だと思っていた、畑に畝をおこして野菜のように植えられている。多年草で草だ、背は低く収穫は腰をかがめるので重労働だろう。一部は紙袋でおおわれている、収穫期は8から10月とある。なんども来ている台湾なのだが、知らないことが多すぎる。


その後、国道9号線は15kmほどの直線区間がある。微妙にアップダウンがあり、先は見通せない。道路工事は長期に及んでいるようで、自転車にはやや危険なところだった。ずーっと上り基調で、風景の変化も少なく、黙々と走った。



池上の宿は、はじめてのドミトリー。







R-1の国道9号線沿いなのだが、わかりにくくて探してしまった。宿の前をなんどか行き来して、最後には隣の衣料品店で聞いてしまった、衣料品店の女店主は当たり前だが機嫌が悪かった。この店にたずねるやからが多いのだろう。
宿を見つける能力はchuさんの方が私より上だ、迷ったという話を聞かない。
Booking.comで予約を入れたとき、宿への入り方を説明するtubeが確認メールについてきた。誰もいないときはこうやって入れということなのだ。モタモタしていたら主人が中から開けてくれた。
宿代を払って部屋の鍵を受け取り、宿の外に出入りする方法を教わって、部屋に入った。部屋は、二段ベッドが二基、4人部屋で小さなソファーがありシーツその他は清潔だった。
トイレとシャワーは共用で、女性専用一カ所、共用トイレが二、共用シャワーが二カ所。
最初につかったトイレが女性専用だと、後で気づいた、まだほかに客がいなくて良かった。少ししてハイカー風の女性二人連れが、女性専用の部屋に入った。chuさんもほどなく到着した。
ginnanさんは一日前にこの町を通過している。


夕飯は二軒隣の“呆呆熊牛肉麺”で肉ソバとワンタン風の餃子を食べた、ワンタンだったのかもしれない。注文は先にするのが規範だが、日本ジジイはルールむしで、ここでも座ってからあーだこーだする。
その隣が7-ELEVENで、便利でなにも問題ないドミトリーだった。




9時過ぎに、若者が一人、部屋に入ってきた。登山の格好をしている。chuさんが喜んでしまって、若者がまだリックを背負って立っているに、やつぎばやに話しかける、日本語と変な英語で。若者はスマホの翻訳機能で対応しようとするが、chuさんの話かけが早すぎてうまくいかない。少し落ち着いてからにしたらと、chuさんに促した。
若者は、フロントで荷をほどいたらしく、シャワーなども済まして部屋にきた。私の上段に上がった。chuさんはもう意識がなくて、朝目が覚めると若者は出発していた。
この付近に登山の対象となる山があるのか、帰国後に調べてみた。
中央山脈、3千m超の山塊が玉山から連なっていて、その南口の関山埡口(登山口)となっている。台湾はこのシーズンがいいのかもしれない、ちなみに、宿から登山口まで60km以上の距離があって、標高差が2,600mとでた。どうやって取りつきまで行くのだろう。開山という集落まで行くバスが日に二本あるようだ。
webで調べたら、路線No.8129とでた。台湾バスアプリでこのNo.を調べると時刻表まで出てくる、なんでもわかる、恐ろしい時代だ。
ただ、台湾のバスは始発の時刻表だけで、もよりのバス停は時刻表がない。定刻通りに運行できないことが前提になっていて、今どこを走っているのかアプリで調べることが出来る。高山の宮峠での時刻表に、10:10~10:20ゴロって表示してあった、日本らしい。
また、台湾のバスは運転が乱暴だと言われているが、ドライバーのせいではない。ゆっくり丁寧な運転をしていたら、市街地はとても走れない。ハエのような軽バイクと好き勝手に停めてある車を避けて停車する。出発するときに、後ろの安全確認などしていたら、いつまでたってもスタートできない。乗る方も、やってくるバスの路線番号を確認したら、道路に乗り出して大きく乗る意思を伝えないと止まってくれない。
列車のシルバーシートを年寄に譲ってくれない、年寄が席に座る前にバスはビューっと出発してゆく。岐阜のコミバスなど、移動中に席を立つとドライバーに叱られる。
年寄に優しいこの国で、この2点は不思議だ。
荘稼熟子、Good Farming Day B&B、3,295円。