13 花蓮~清水断崖~宜蘭f

  13 花蓮~清水断崖~宣蘭 f

 花蓮発、朝二番の列車に乗った。

 宿を出たのは5時ごろ、自転車は昨日買った輪行袋に入れた。切符は悠遊卡(プリペイドカード)なので、慌てることはない。花蓮駅は大きいのに不労者風の人は少ない。コンコースのベンチに一人いた、自転車を持ち込んで寝ている。閉めるゲートがないので夜間でも出入り自由だ。

 一番列車ではまだ暗いので二番にした。脚踏車設施列車を待っているのではないので、来た列車に乗ればいい。

 花蓮 7:07発、和仁 7:38着、の區間(普通)列車だ。羅東方向へ快速が、台東方向へオレンジ色の観光列車風が出て行った。見ていると職員の所作は日本の鉄道員と同じで、服装もちゃんとしている。ホームにはゴミもゴミ箱もない。

先頭と思われる場所で待っていると青年が一人、私のまわりをうろうろしている。撮り鉄かと思っていたら、ちがった。特急らしき列車が発車したあと、話しかけてきた。

 この場所ではダメなので5番へ行け、と。事情はすぐ理解できた、自転車を担いで5番の表示の下へ移動した。入線してきた區間列車は4両編成だ、危ないところだった。誠に親切である。教えてもらえなかったら、自転車を担いで走らなければならないところだった。

 和仁駅で降りたとき、青年に手でお礼をした、青年は軽く返してくれた。

 乗った列車は5時ごろの玉里発で結構混んでいた、座れずに立った。その後も各駅で乗客は乗り込んでくる。席が空いてないので床に座り込む、立っているのは少数派なのだ。年寄など折りたたみのパイプ椅子を持参してすわる。先にも書いたが、シルバーシートはあるが老人に席を譲らない。この習慣だけは理解できなかった。
 どういう訳か半分くらいが緑色の上着を着ている、同じ職場なのだろうか、女性もいる。

 和仁車站で降りた。ホームから地下通路に降りたところに職員が一人いて、自転車で一周かと手ぶりで聞いてきた、そうだと答えると、ガンバレと笑顔で言ってくれた、ような気がする。
 和仁車站は物好きな日本ジジイ以外の利用は少ない、たぶん。

 駅の周辺にはなにもない、かって砕石を列車で運んでいた時代の施設が駅の敷地内に遺跡のように残っている。山は大きく削られていて、この山は大理石の産地なので粉砕工場があり、石灰として工業材料に使われているのだろう。今はトラックに代わってその使命を終えている。

 駅前の国道は制限速度が70km/hで渡るのが恐ろしい。左側の側道を少しだけ断崖方向へ逆走した。すぐ断崖の道になった。和仁も太魯閣国立公園の一部で、圧巻である。海岸へおりる梯子があるが、“和仁歩道、歩道損壊封閉”と看板がある。漢字の国の人なら意味はわかる。とても降りる気にはならない断崖だ。
 清和隧道まで車は2台しか出会わなかった。

 ここ10年で100人死んでいると、台湾政府が推奨する環島のルートでも、この間は列車での移動を勧めている。

 隧道付近からの眺めは雄大で、富山新潟県境の親不知子不知を思わせる。親不知も国道を自転車で走る気にはならないところだ。写真を撮っていたらトレーラーのタンクローリーが飛び出してきた。二日前にginnanさんはここを全通している、隧道の端が狭いので、自転車を立てて歩いて通過したと言っていた。

このトンネルから

 やや曇っているのが惜しい、花蓮の先まで見通せる。来て良かったと思った。

 北上を開始した。和平車站の少し手前でchuさんとすれ違った。これから断崖に向かうという。和平まで自行列車できたらしい。清和隧道まで車3台しか出会わなかった事を伝えて別れた。
 しかし、この後国道9号線が工事で一方通行になり、北上する車が大挙隧道へ流れこんできたらしい。地獄を見たのだろう。chuさんとは宣蘭の宿まで会わなかった。

 のんきに国道を走っていたら10kmを超えるトンネルの入り口に入り込んでいた、手前で左折して海岸の旧道に行くところを見逃した。
 工事通行止めで、ここを降りろと誘導され、管理棟の階段を5階分、自転車を担いで降りた。一日のエネルギーを使い果たしてしまった。私の前を走っていた青年も降りた。
 旧海岸道路は、トンネルの迂回車両がどんどん来る。大型トレーラーも、大型バスも、対向車だったので救われた。同方向だったら、引き返して輪行していたろう。

和仁の向こうに断崖から花蓮
桧峠と同じような上り

 晴れた、当たり前だが、晴れれば暑いわけで、目の前には桧峠を思わせるような上りが展開している。ともかくもガンバって上る。景色はこれ以上ないくらい見事で、しばしば止まって(休んで)眺める。花蓮から羅東の手前まで見渡せる。この間は海岸線のアップダウンが連続してきつい。しかし来て良かった。

 ginnanさんからの事前情報で、東澳から蘇澳の間はやめといた方がいいと言われていた、南澳車站から輪行した。ginnanさんは蘇澳あたりで宿泊したようだ。

 南澳車站はそこそこの街で、脚踏車設施列車が利用できる。駅前にロータリーがあり、観光バスなども止まっている。

駅前のロータリー

 自転車を袋に入れて、待合で行動食を食べたあとホームに入ろうとしたら駅員に止められた。列車の時刻の10分前まで入れないと言っている。少し待ってから窓口の職員に、自転車が重いので先に入りたい、と伝えると事務所にいた若い女性職員二人が改札を開けて入れてくれた。エレベータまで案内してくれて、この中国語の話せないジジイが面白いのか、楽しそうだった。

 ほかの客も私につられて入った。待合から一緒だった、4,5人連れの台湾婦人がやかましくてワアワアしゃべっている。列車が入線して乗り込んだら、別々の扉から入って、別れて座席にすわる、連れではなかったようで、どうなっているのだろう。
 列車は空いていた、ついうとうとしてしまった。乗り過ごしても構わない、安心していた。

 先が山坂のない走りやすそうな駅、蘇澳新火車站で降りた。駅舎は大きいが付近に何もない、道路を挟んで砕石場らしきものがある。
 すぐ先に新馬火車站という市街地のついた駅がある。
 この駅も石灰の積み出しに使われたのだろうか、乗降客は私一人だった。花蓮の駅で買ったサンドイッチを食べた。

 ともかく国道2号線へ出ようと海岸方向へ向かった。環島の支線、環1-12渓南環線頂寮とある。2号線は空いていて道幅も広い、海岸へは出ずにそのまま北上して宜蘭へ向かった。道の両側は工場ばかりで埃っぽく、休憩するところがない。

 国道7号を左折して宣蘭市街地へ向かう。田舎町ではあるが、羅東も含めてこの辺りは宜蘭懸という、古い街なのであろう。

 ガード下の夜市を抜けて宿はすぐだった、夕飯はこの夜市に決めた。

 慕夏精品旅館有限公司、Mucha Boutique Hotels Ltd。

 大きな看板がでていて、すぐに見つかった。chuさんも、どこからどこまで輪行だったのか、ほどなく宿に着いた。

宿の前の洋品店

 前もって調べてあった宿の前の“地球村體育用品”へ行って、Tシャツ・短パンと靴下を2足を買った。pumaとadidasなんだけど、名の知れたロゴ物は日本と値が変わらない。chuさんに見せたら、「ああ、ここへ来るときいっぱい吊るしてあったやつか」と言われてがっくりきた。日本から持って行ったシャツと靴下を捨てた。

 宿は窓が大きく、Wbed x 2で、自転車は部屋へ持ち込み、清潔で良かった。

 夕食はガード下の宜蘭東門観光夜市、国道7号線のガード下に広がる夜市で、かなりの賑わいだ。すべてがそろっている、ちゃんとした夜市での食事は、この旅で初めてかもしれない。chuさんもやや興奮気味で、しきりと写真を撮っている。域内を一回りして店を決めた。6,7人で切り盛りしていて、女将が取り仕切っていた。こういう店で飯が食えれば台湾にそうとう馴染んでいるような気がする、フライパンを振っている男が、女将に蹴飛ばされていた、見ていてじつにおもしろい。私たちは、そのすぐ横のテーブルに座っている。

 隣のテーブルを指さして、あれが食べたいとオーダーした。

 慕夏精品旅館有限公司、Mucha Boutique Hotels Ltd、3,900円。

 ginnanさんは単独行なので、宿代が私たちの倍掛かっている、たぶん。

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