12 太魯閣渓谷と脚踏車設施 f(太魯閣渓谷の休日)

         12 太魯閣渓谷と脚踏車設施 f

 当初の計画では、全日程のうち3割は雨に振られると予想していた。
 私は仕事で海外に出ることままあった、ヨーロッパも含めて降られたことが一度もない、日中のスコールにザッと降られることはあったが、晴れ男だと信じている。
 ginnanさんにその話をしたら、GIANTのツアーは一番天気が安定するこの時期に開催されて、今回の日程もそれに合わせたのだと言った。この好天が続くのは私が持っているものだと言い張った、「わかりましたよ!」とLINEがかえってきた。
 ともかくも、順調に行程が消化できているので、のんびり行かないと台北で日程が余ってしまう。

台北観光は何度もしているので、台東・花蓮間が立ち寄り放題、余裕があれば太魯閣渓谷の観光をと思っていた。太魯閣観光と仇分はchuさんの希望でもあった。

 晴天で暑い、今日清水断崖に行くべきだった、残念。
 KKdayで三日前に予約した。宿までの送迎付きで、タクシーチャーター半日ツアー、 8,500円、二名だから、一人当たり 4,250円。安いようなきがする。

 ドライバーの蔡さんは時間通り9時に宿の前に来た。KKdayのメッセージにバウチャーなんとか?を見せるよう案内があったが、どうでもよかったみたいだ。

 簡単な打合せをして車は出発した。通勤ラッシュの時間帯は過ぎているので道は空いている。話をしながらシートベルトに気づいて締めたら、バックミラー越に蔡さんの笑顔が見られた。多分いい人だ、と思った。
 私はマスクをしている。昨夜、chuさんに、車の中は大声で話すのはやめよう、と話しておいた。地声の大きいchuさんは、オトナシイ。

 太魯閣渓谷はその規模・景観について、私の作文力ではとても表現できない。海抜0mから3,400mの標高まで深い峡谷が続く。黒部の下ノ廊下のような、それをこえる迫力で迫ってくる。S字峡や、本当にサルが飛べそうな狭い谷合が続く。砂卡礑歩道は車を降りて廊下道を歩いた。蔡さんに奥まで行かないで30分ほどで戻ってこいと言われ、その通りに戻った。燕子口歩道はヘルメットを渡され、隧道を歩いた、ここはタクシーや観光バスが先行して、観光客は先まで歩く。目の前に屏風岩風や千mを超すようなスラブがある。

こんな道を歩いていると
頭に気負つけろって看板

 この看板は文章が長いので、googleで訳してみた。
 概要は、この道はまだ太魯閣族が耕作して生活道路として使っている。作ったものをバイクで運ぶので通るけど、協力してください、国立公園住民協力課。以下、通時間帯。てなことがかいてあるんです。

 ほんとにバイクが来た、なんて危ないやつだと思ったけど、外国人の観光客は遠慮して通らねば。


我々はヘルメットで歩く、蔡さんは先回りして待ってる
ヘルメットはただで貸してくれる


 ここから望める無明山の標高が3,449mというから、とてもかなわない。世界一過酷なヒルクライムがここで行われ、海岸からの標高差が3,000mを駆け上がる。ふだんは車が多く道が狭くて危険すぎるのでサイクリングには向かない、が、勇敢なローダーが何人かいた。

 蔡さんがここへ行けというので歩きたくなかったが、行ってきた。
 かがまないと歩けない真っ暗なトンネル、やっぱ行きたくなかった。
 湧き水が大量に吹き出している滝と、中華風東屋があった。東屋の右の谷が凄い、スラブ状に3千m上まで駆け上がっている、黒部の谷の倍はありそうだった。

 コンデジの画像はいずれも陳腐でその迫力が伝わらず、役に立たなかった。

 太魯閣のあと七星漂海岸へ行った。フィリピン海なのか、海も空もとにかく碧い。与那国島まで100kmもない。遊泳は禁止されている、黒潮が5ノット、10km/h近い速度で流れている。鹿児島までの距離が1,300kmなので、潮に乗れば六日もかからない。日本人の半分くらいはここがルーツなのだろうと実感できる。

明日向かう清水断崖の方向
沖に定置網らしきものが

 明日向かう清水断崖が見える。太魯閣の山塊が海へ直接切り込んでいる、その海は沖縄から続く琉球海溝で深さが7千mをこえるというから、なにやら恐ろしさすら感ずる。ginnanさんは昨日通過しているはずだ。

 司馬遼太郎の台湾紀行は、「花蓮の小石」と「太魯閣の雨」という章で終わっている。

太魯閣はドピーカンだったが、浜で小石を一つ拾って持ち帰った。

 花蓮港は大理石の積み出し港だ、四角に切り出された石があちこちに積んである。明治の日本人がこの港に来た頃は、七星漂海岸のように砂利浜で浅く船が近づけなかった。沖に停泊し、山地人が小舟で人や物資を運んだという。

 蔡さんは、日本統治時代の跡へ行くと言った。
 私は戦争の遺構など見たくないと伝えたが、蔡さんは、私たちは日本を悪く思っていませんと、松園へ案内した。
 占領時代にこの島の人たちと朝鮮半島の人々に対する扱いの違いが、永遠に後を引くことになるのだろうか。

 司馬遼太郎の紀行にこんなことが載っている。
  敗戦後、蒋介石の代わり主席として陳儀が来た。この男は汚職まみれの札付きで、在任二年間、台湾を私物化し、搾れるだけのものをふところに入れた。
  陳儀の部下は一兵にいたるまで小陳儀で、私利私欲しかなく、また“征服軍”として台湾人を無数に殺戮した。
  陳儀は1950年銃殺された。
  「日本時代、憲兵は拳銃を持っていたが、50年間、射ったことがなかった。官吏で汚職する者もいなかった」と。

この後1991年まで、大陸系の国会議員は改選することがなかった。総統選挙の真ただ中で、いたるところにポスターは貼ってある、民主主義の国だ。
二日前に大陸寄りでない総統が誕生した。

 半島では日本寄りの与党が大敗して、野党が過半数を占めたという。また冷めた時期が来るのだろうか。半島への旅行者は関係なく多いのだが、こればかりは早く歴史になってしまって、台湾の様に日本人の歴史学者に探求を渡してほしいと思う。

 松園では、旧施設よりそこに生えている黒松風の樹が気になった。琉球松だそうで恆春と花蓮に植えられたという。南方の細長い葉と違い明らかに黒松で、樹肌もゴツゴツとして力強い。chuさんは防空壕へもぐったり庭を歩いたりしていた、毒蛇に注意の看板が絵つきで立っていた。
日本統治時代の台湾総督邸なども案内された。日清戦争のあと、乃木希典・児玉源太郎・後藤新平などが赴任したという。彼らもここへ来たのだろうが、思いはそこへ行きたがらない。

 太魯閣ツアーは午前中で終わった。昼飯の後、chuさんは花蓮駅の様子を見に行った、あしたの輪行切符を下調べするために。

 私は明日以降にややこしい輪行が続くので、前輪を外すだけの輪行袋を探しに花蓮市内へ出かけた。google mapで“自行車店GIANT”で検索すると何軒か見つかった。なかで一番大きそうな店へ行ってみた。

 国道9号線を渡った先で通行止めになっていて、警察官が交通整理をしている、自転車なので通れると思い通り抜けようとしたら、若い警察官が制止して、丁寧な所作で向こうへ回るように案内した。事故ではなく、パンクのようで、トラックのタイヤ交換をしていた。

 “安特”、これでGIANTと読む。最初の店「名捷車行」、若い店員が対応してくれたが、この店はGIANTよりヨーロッパブランドの方が多くて、残念ながら前後輪を外すタイプしかなかった。
 All day $250、Rental、1,250円10:00~21:30と安いではないか。台北から電車できて清水断崖を往復して日帰りができそうだ。

 二軒目“珍成有限公司”、ここも大きなGIANTの青い看板が出ていた。店主が、あるよと言って店の奥へ行った、しばらくして出てきて、なかったという。他の店に電話をして探してくれた。駅前の店にあるといい、P.C.で地図を示して場所まで教えてくれた。
 親切なので、何か買うものがないか探したが買えるものがなくお礼を言って3軒目へ向かった。

 駅近くの3軒目は、隣がドミトリーの宿で、現地支払い3,000円、ここに泊ってもよかったかもしれないと思った。
 捷安特花蓮GiantHualinStationBicycleRental自行車&電動車賣店と、店名はやや長い。
 すぐに買えた、ついでにGIANTの腕抜きを買った、先の店で買えばよかった。破れているブルーの輪行袋と100均のウデヌキは花蓮でほかった。

 台湾のサイクルトレイン事情
 昨日、花蓮駅へ明日の輪行切符を買いに行ってみた。花蓮の輪行計画はややこしくて、次のようなものだった。

 花蓮駅 ~ 和仁駅 輪行、和仁駅 ~ 清和隧道 自転車
 清和隧道~ 南澳車站 自転車、南澳車站~ 蘇澳車站 輪行
 蘇澳車站~ 宣蘭 自転車

と、輪行を繰り返すつもりで、並んだ。

 漢字で書いたものを窓口のおじさんに見せた。職員はメモを見て額にシワを寄せてから、少し調べた後メモに✕をうって返してよこした。問い直すと、今度は両手で✕を作った。これは当たり前のことで、こんな切符ははじめから買えなかったのだ。
 “脚踏車設施”が輪行車両のことで、“脚”の字は中が“谷”でIMEの変換にない。
 webや物の本によると、台湾の列車はどれでもそのままのせられるような記述が多い。1日に数本、それも一編成に1両、自転車4台がバラさないで積めるだけのようだ。
 どの列車が該当するかは、台湾国鐵のサイトで確認できる。指定の列車と自転車の切符を買う必要がある。車両は基本先頭でロングシートの扉付近に止めるための設備がついている。4台分しかチケットが販売されないので、売り切れもある。ある程度の規模の駅でないと切符は販売されない。降りるのは勝手でどこでもいいようだ。

 私の買おうとしたチケットは花蓮~和仁だった、これを和仁の一駅先の和平駅までなら買えたので、それを買って和仁駅で降りれば良かった。その基準はよくわからない。
 台湾の鐡道は、好きなように自転車を持ち込めるというのは、間違いだ。 袋に入れれば日本と同じ扱い、折たたみ自転車は手荷物と同じで、どうでもいいみたいだった。
 翌日、chuさんが言った。窓口が若いお姉ちゃんだったから買えたよ。chuさんが買ったのはなぜか和平火車站だった、決してお姉ちゃんだから売ってくれたのではない。
 明日は3度の輪行予定なので、前輪を外すだけの輪行袋を今日買ったのだ。
 この日以後、chuさんは自転車で走ることを半分あきらめた。前掲の脚踏車設施の列車を来るまで待って乗るようになって、その日chuさんはがどれだけ自転車で走ったかわからなくなった。

 山水商務旅店、Shan Shui Hostel, 3,500円

 

目次