ジジイに優しいドン曇りのつもりで、笠松に出かけてみた。

我が家からは、ここが笠松の入り口。





町の自転車屋さん、廃業されて何年になるんだろう。


江戸期にはここに木戸があったという。昭和のガスステーション、ちっちゃな給油機が新しくて面白い。
ここのところ気になっている、「城下町」について、ほんの少しだけ深堀(いや、浅堀)してみた。
Kさんからの書き込みで、岐阜市の城下町について意見を頂いた。
以下、まったく勝手な話を少し展開します。
「城下町」は、江戸期に形成されたと思っていたのですが、和泉清司氏(高崎経済大学教授)の『地域政策研究』の記述を引用すると、、
城下町は‥例えば県庁所在地では四十七都道府県のうち、東京、大阪、はじめ…三十二都市である。……、さいたま、千葉、岐阜、大津などは宿場町であり、……
とある。岐阜が宿場町だったとは思ってもみなかったので、これはこれで調べてみることにした。
城下町は信長・秀吉の時代に城が山の上から平地におりてきて戦の防御から治政・経済の中心に変わってきて、形成され始めたことは、すでにご案内のとおりのことです。現在、城下町として城と町が残っているのは全国にいくらもないと、和泉清司氏の記述にもある。近くでいうと、犬山がそうだそうです。確かに。
岐阜の話に戻すと、信長が岐阜にいたのは十年弱で、JR駅前に黄金の像があるけど、本当は愛知県の津島かどっかの人なのです。秀吉も8年くらいしか岐阜にはいなっかったと、諸資料にある。
岐阜は天領みたいなもので、江戸期はやっぱり城なんか無くて、中山道の宿場町だったのだろうか。この辺りで一番大きな藩は、加納藩で、紛れもなく中山道の「宿場町」でした。
観光立地のために岐阜を城下町風の売り込みを始めたのは、ここ数年のことです、いかにもブームに乗り遅れた感があります。
先の和泉清司氏の学会誌に、……横浜、新潟、神戸、長崎などは港町、とある。
Kさんのblogに紹介されていた川湊町の「笠松歴史未来館」へ行ってきた。
前書きが、長すぎです。



いこういこうと思っていたのですが、気がついたら今度の日曜日でおしまいだったので、慌てて今日でかけました。
展示の内容は懐かしいものばかりで、ほかの資料もゆっくり見れば一日いられそうでした。


これ、何十年か前に重連で岐阜市内を走っているを撮影したものです。当時はアナログで撮って、ネガからスキャンしてデータとして残していたものです。膨大な画像データから探し出すのに、半日かかってしまって、ほかにもいろいろあるのですが、めんどくさくなってやめました。

笠松湊公園で水分補給をしようとおもったら、


自販機荒らし、いまどきこんなことをするやつがいるのですね~。両方とも電子決済のできる新しいタイプなので、現金はいくらも入ってないと思うのだけど。バールかなんかでかなりの力仕事をしてるのが見えます。

もう一度堤防を降りて、伊住屋さんで、

水まんじゅうを買って帰りました。


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